Nicolas Feuillatte

創始者
1926-2014

生を受けたその時から、ニコラ・フィアットの運命は決まっていたのかもしれません。パリでワインなどの輸入業を営む豪商の家に生まれた彼は、後継ぎとして将来を嘱望されていました。しかし彼は父親の跡を継ぐことはありませんでした。

冒険心あふれる青年だったニコラ・フィアットは、親元を離れることにしたのです。第二次世界大戦後、大西洋の向こうで運試しをしようと決意。アメリカに渡ると骨身を惜しんで働き、1960年には、アメリカにおけるアフリカコーヒー輸入業の第一人者と言われるまでになりました。さらに事業を成功へと導いたのが、その類まれなる営業力。ビジネスを始める際にはニューヨークの名士と呼ばれる人々に接触し、アリストテレス・オナシスやケネディ一家とゴルフをした記録も残っています。

常に情熱を忘れず新しいことに挑み続けてきたニコラ・フィアット。40歳の時、新たなビジネス・チャンスが舞い降ります。兄弟のセルジュから、ランスの近郊、ヴァレ・ド・ラルドルにあるブールーズ村で、12ヘクタールのブドウ畑を買いたいと相談されたのです。彼は迷わずその畑を取得。ドメーヌ・サン・ニコラと名付け、ブドウ作りを始めました。初めて収穫したブドウは仲介業者に販売しましたが、1976年、二コラとセルジュは自分たちのブランドを立ち上げることを決意します。その2年後、「レゼルヴ・パルティキュリエール」が完成。当初は二コラのアメリカの友人たちへのプレゼントとして配られましたが、たちまち評判となり、瞬く間に販売実績を積み上げていきました。

レジスタンス・メダルや志願兵(1939~1945年)メダル、コートジボワールの勲章オフィシエ、そしてレジオンドヌール勲章のシュヴァリエを授与されたニコラ・フィアット。彼はその後もビジネスマンとして確かな実績を残すことになります。

自らの名を冠したシャンパーニュのアンバサダーとして、ニコラ・フィアットは常に新しいことに挑み続けました。そのエネルギーの源は、人々との出会い、日々過ごす時間、そして感動だったのです。